間違いだらけの霊柩車選びMCタイチ [←prev] [next→]

なんと、徳大寺氏が自宅で転倒して頭を打って死亡とな!自動車評論家としては情けない死に方だなあ。http://www3.nhk.or.jp・・・「ご冥福を・・・」なんて言うと杓子定規で上から目線な気がするので、僕もいつもどおり辛口で昔話をしようと思う。

僕が「間違いだらけの車選び」に最初に出会ったのは、未だ小学生の頃。親父が知り合いから借りパチして家にあったのを密かに読んでいた^^;70年代終盤の号で、初代ゴルフを中心に欧州車を絶賛し、日本車やアメ車を貶していた(例外的にRX-7や初代シャレードは褒めていた)のをよく覚えている。

当時の僕はクルマの速さはエンジンパワーで決まり、乗り心地はクルマの大きさとシートの柔らかさで決まると思っていた。恐らく当時の大人たちも似たような認識だったと思うが、そこへ徳大寺氏はハンドリングという概念を持ち込み、ボディーやサスペンションの大切さを説いた。

70年代の日本車はアメ車を縮小したような、見せかけの豪華さだけのクルマばかりで、批判されても仕方ないだろう。その点、初期の「間違いだらけ・・・」は間違っておらず、日本のユーザーを啓蒙するという点では価値があったと思う。

80年代に入ると、日本車もアメ車コンプレックスから脱し、独自の道を歩み始める。しかし、自動車雑誌界隈は徳大寺に追従するように欧州車礼賛で、バブル時代の欧州車信仰を加速させた。

他に情報ソースがない20歳前後の僕は、雑誌の批評をほぼ鵜呑み状態だった。ただ、カーメーカーもターボパワーやハイソカーブームの一方で、ボディー剛性やサスペンションの設定に気を配るなど、良い面の影響もあったと思う。

90年代に入るとRVブーム、そして完全なバブル崩壊で日本車は一気にクオリティーダウンしたかと思うと、ランエボVSインプSTI対決が白熱するなど、多極化の時代を迎えた。このころから日本車は欧州車コンプレックスも越え(マツダは未だやってるけど^^;)、独自の世界観を構築し始めたと思う。

そんな成熟した日本車を「今の日本車は確かに欠点は無いが何かが足りない。それが文化というものだろう」などと、知ったかカーマニアのグルになってしまった時点で、徳大寺氏の役割は終わったんだと思う。

さて、そんな彼が最後に乗る霊柩車は当然「メルツェデス」や「ジャグァー」 ベースだよね 。クラウンの霊柩車なんか乗ったら「流石フワフワで乗り心地が悪い」とか文句言いそう(死んでるのに)。まあ、あの世で「間違いだらけの霊柩車選び」でも書いてくだされ。

2014-11-09 15:28 返信 修正 削除 つぶやく

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